本当にお伝えしたいプロフィール ②.
英語が話せる・通じることが嬉しい
どうすれば話せるようになるんだろう?
3ヶ月間ずっと考え続けた結果、ある結論に至りました。それは、
そうだ!
「英語 = 勉強」になっているから話せないんだ!
「正しい英語」にとらわれているから話せないんだ!
そしてある時、決心をしました。
よし!
今日は「正しい・間違い」は一切気にせず
思ったことを出てきた順に話してみよう!
自分にとってそれははある意味とても勇気がいることでした。
なぜならそれは「正しい英語ができるように何年も頑張ってきたもの」を全部捨て去ることに等しかったからです。
しかし、それぐらいしないと
「英語=勉強」「正しい英語」からの脱却はできない
というのも強く感じていました。
最初の一言。
話しながら自分の文法が間違っているのに気づき恥ずかしくてたまりませんでした。それでも敢えて言い直したりすることはせず話し続けました。
すると、驚くことがありました。その方が断然、
話せる!通じる!
笑ってくれる!話を返してくれる!
嬉しくて話が止まりませんでした。話せる・通じることの嬉しさが大きすぎて、文法や単語の間違いの恥ずかしさなどどうでもよくなっていきました。
結局、その日はその後もずっと話が盛り上がり、気づけばあっという間に帰りの時間になってしまいました。
その日の帰り道、
話せるってこんなにも気持ちのいいことなのか
この日の会話が自分の英語人生を大きく変えるものになり
「英語 = 勉強」ではなく「英語 = 言葉」
「正しい英語」より「伝わる英語」が大切!
というのを強く確信しました。
そして、これこそが現在の
FSDオリジナルの法則の原点
になりました。
日本にあった「英語だけで生活ができる場所」
これを機に英会話に対する情熱はさらに強くなり「週一回・数時間の英会話」ではなく「毎日ずっと英語だけで生活できるところ」を探し続けました。
そして、6ヶ月半がたったある日「上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)」というところを見つけました。
ここは授業で日本語は一切使わず英語のみ、「英語を勉強する」のではなく「英語で専門分野を勉強する」というところでした。
しかし、受験の方法も「英・国・社」のような一般的な日本のものではなくアメリカの方式であったため「日本の中・高を普通に出ただけの日本人にはまず無理」と言われるようなところでした。
でも、そんなことを知ったところで自分には「諦める」という選択肢はなく
どうすれば短期間にそのレベルの英語力に達するか
しか考えにありませんでした。
あらゆる方法を考えては試し、最終的には
という「方法ではないような方法を何とかしなければならない」という結論に至りました。
というのも「ただひたすら・・・」という根性論では「いつ、どれぐらいできるようになるのか」がまったくわからないからです。
大学に入るためには
もっと論理的で具体的、一気にスピーキング・リスニングが向上するような方法
が必要でした。
それにはやはり、
発音・文法・スピーキングなどすべてにある「何でそうなるのか」を一つ一つ明らかにしていく方法
が一番の近道であることに気づきました。
それからは「何でそうなるのか」を一つずつ試しては解明する途方もない日々が続きましたが
ある程度、解明されてくるとそれら一つ一つがネットワークのようにリンクし、頭の中で無意識・瞬時にそれらを組み合わせて考えられるようになり、そこから一気に英語力が上がりました。しかし・・・