子どもの頃から大好な英語を、とうとうアメリカ人と話す日が!

本当にお伝えしたいプロフィール ①.

20歳の頃、英会話力がまったくのゼロの状態から日本だけで英会話力を身につけようとしていたとき、
毎日、このようなことを思っていました。

何をやっても英語が話せるようにならない
一体どうすれば英語が話せるようになるんだろう
やっぱり自分には無理なのではないだろうか

それでも大好きな英語を諦めきれず「英語が話せるようになるための方法」を探し続ける日々が続きました。

そして悪戦苦闘・試行錯誤の末、とうとう

英語の発音・スピーキング・リスニングなど、すべてには法則がある!
その法則さえ体得できれば今からでも英会話ができるようになる!

という英語が話せるようになるための方法」ことを発見。

それからは、あれだけ苦しんだ日々が嘘のようにどんどん話せるようになっていきました。

現在、同じ苦しさを抱えている方に対して「何かきっかけ・希望の光」になればと思い、
今から「略歴では伝わらない本当にお伝えしたかったプロフィール」をご紹介いたします。

英語が好きになったきっかけ

小学生の頃、テレビ番組で見たアメリカの日常生活やコミュニケーションの仕方にカルチャーショックを受け

将来、絶対に英語が話せるようになりたい!

と思ったのが僕の英語との衝撃的な出会いでした。ところが当時の自分は

勉強しない、できない、大っ嫌い

英語は話せるようにはなりたいけど勉強してまではしたくない。
と思いながら何もせず中学生になりました。

中学の英語の授業

さて、中学生になり待ちに待った英語の授業!

これで英語が話せるようになる!

という大きな期待はすぐに冷めてしまいました。

これでは英語なんて絶対に話せるようにならない

想像とはかけ離れた「暗記・訳・読み書き中心の英語」に「英会話」への夢は脆くも崩れ去りました。

人生最大のピンチにより英語が一生のパートナーに

小学生の頃とは逆に、高校生になると大学受験のため猛勉強。

徹夜の連続で猛勉強をする日々が2年続き、高校卒業と同時に倒れパニック障害に。
一時は勉強はおろか呼吸さえ自然にできない状態になりました。

しかしそれから数ヶ月後、体調が少しだけ回復した時に何よりも真っ先にしたのは「英語の本を開く」ということでした。
その行動に自分でも驚き、道半ばで体調を崩し大学に行けなかった無念と同時に、

それ程までに自分にとって英語というのは大きな存在であった

ということに気づき、

英語は自分にとって一生のパートナーになっていくだろう

と非常に強く感じました。

とうとうアメリカ人と初めて英語を話す日が!

とあるアメリカ人宅で毎週英会話をしている知人が、ある日、そのお宅に僕も誘ってくれました。英会話力を身につけようと暗中模索を続けている僕のことを知り、声をかけてくれたのです。

アメリカ人とは会うのも英会話をするのもまったくの初めてでした。

自分の英語はどれくらい通じるだろう? 
受験英語は必死に勉強してきたから、40%、30%・・・
いや、せめて20%は通じるかな?

ワクワクが止まらない状態でその日を待ち続けました。
そして、とうとう英語を話す瞬間が!

Hello, my name is Yamauchi…

しかし・・・、その後の言葉が何も出てこない・・・。

さらには、相手が話す英語も「これ英語???」というぐらい、何も聴きとれない・・・。
できたことは、名前を言ってから後はずっと「わかったフリ」をして笑顔でうなずくだけ・・・。

通じたのは、40%、30%、20%どころか、まったくの0%

あれだけワクワクが止まらなかった初めての英会話。帰り道は失望を通り越え放心状態。

今までやってきた英語は一体何だったんだろう???

という言葉がぐるぐると繰り返し浮かび、頭の中から消えませんでした。

しかし、その後も英会話には週一回通い続けました。それでも一向に話せるようにならない。

どうすれば話せるようになるんだろう?

3ヶ月間ずっと考え続けた結果、ある結論に至りました。それは・・・