日本だけで英会話力を身につけた日本人だからこそ教えられる英語!FSD代表のプロフィール

日本だけで英会話力を身につけた日本人だからこそ教えられる英語!FSD代表のプロフィール

略歴

山内 順雄
・上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)卒業
・アラバマ州立Troy State University大学院
・行政学修士課程修了(横田基地内)
・米空軍横田基地勤務
・アメリカ大使館勤務
・日本語教育能力検定試験 合格

研修・講演会・セミナー実績(敬称略)

・板橋区立高島第二中学校
・ たましん法人総合サービスBOB
・ みなとみらい特許事務所
・ 篠原総合法律事務所 
・ いつき司法書士事務所
・ エグゼクティブ・サーチ・ジャパン株式会社
・ 株式会社グロウスプロモーション
・ Revon24

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プロフィール詳細

英語が好きになったきっかけ

僕が子どもの頃はよくテレビでアメリカの番組が放送されており、そこに映る風景や生活など、すべてにスケールの大きさや余裕を感じました。そしてある日、こう思ったのです。

「これだ!僕が求めていた世界は!将来、絶対にアメリカに住む!」

しかし、当時小学3年生の頃の僕は

勉強しない、できない、大っ嫌い

「英語は中学になったら授業があるようだからそれまで待とう」と中学になるのを楽しみにしながら小学生の頃はとうとう何も勉強せずに終わりました。

そして、いよいよ中学になり待望の英語の授業!

読み書き中心、暗記・リピート・練習問題だらけの「勉強の英語」に「英会話力の習得」の夢は打ち砕かれてしまいました。

ただ他に変わる教科はないので英語は中でも好きで得意な教科になっていきました。

人生最大のピンチにより英語が一生のパートナーに

さて、どうしても行きたい大学があったため高校生になると逆に猛勉強。徹夜の連続の生活を2年間続けるも結果は不合格。高校卒業と同時に倒れてしまい体調は日に日に悪化。ひどい時は呼吸さえ自然にできない状態にまでなってしまい

なり、人生で初めて「死」というものを間近に感じる毎日でした。

でも、とある治療により何とか呼吸だけは普通にできるようになり、家に戻り真っ先にしたのが「英語の本を開く」ということ。その行動に自分でも驚くとともに、英語に対しての思いがそこまで強かったことを実感。

その時、「英語は自分にとって一生のパートナーになっていくだろう」と感じました。

体調は最悪の状態は脱したものの、そのままパニック障害になってしまいました。倒れる恐れがあるので家からの行動範囲も限られることにより、大学進学はおろかすべての社会的生活も諦めざるを得ない状況に。将来どうなるのか不安と恐怖で張り裂けそうな中、英語に触れている時だけはすべてを忘れることができました。

数ヶ月が過ぎ、短い時間であれば友達と会うようなこともできるようになってきました。

ところで当時、世の中は留学ブーム。「浪人を避けアメリカに留学する」というようなことがよくありました。一方、僕は猛勉強の末にパニック障害になり、英語の本場アメリカにも行けない。嫉妬や劣等感、自己嫌悪などで将来に対する不安や恐怖はさらに絶望へと「負のループ」が止まりませんでした。

でも、これ以上ないという程に「負のループ」が底に達した時、あることを思いつきました。

アメリカに行って英語が話せるようになるのは普通だけど、
日本だけで英語が話せるようになったらスゴいかもしれない!

アメリカに行けないんだったら日本で英語が話せるようになればいいんだ!

それを境に、小学生の頃あれだけ「アメリカに住む!」と心に誓った僕は、逆に

アメリカなんか絶対にいかない!
英語が話せるようになるまで絶対に日本を一歩も出ない!

と瞬時にして気持ちが変わりました。

とはいえ日本だけで英語が話せるようになるにはどうすればいいのか・・・

毎日のように考えていたある日、英会話をしにアメリカ人の家に週1回通っている知り合いが僕を誘ってくれました。

とうとうアメリカ人と英語を話す日が!ところが・・・

10年越しの待ちに待った日がとうとう訪れました!

アメリカ人と英語で話せる!

どれくらい通じるのだろう!?

英会話は初めてだけど、中・高では英語は好きで得意な教科だったから
40%、30%、いやいや、せめて20%は通じるかな???

ワクワクが止まらない状態でその日を待ちました。

そしてとうとうその瞬間が!

Hello, my name is Yamauchi…

しかしその次の言葉が何も出ない!

何で!?
あれだけ楽しみにしていたのに!
中・高では英語の勉強をあれだけ頑張ってきたのに!

さらには、相手が話す英語も「これ英語???」というぐらい、何も聴きとれない。

結局ほとんど理解できず笑顔でうなずくだけ。

40%、30%、20%どころか0%

意気揚々と期待に胸膨らませて行ったわずか数時間後は落ち込み愕然とした状態で帰りました。

今までやってきた英語は一体何だったんだろう???

やっとわかった「英語が話せない原因」

しかし、その後もそこには思うように話せないまま週1回通い続けました。また同時に「何で話せないだろう?」「どうすれば話せるようになるんだろう?」

と考え続けた結果、ある結論に達しました。

  • 「英語 = 勉強」になっているから話せない
  • 英語を勉強として積み上げてきたので「正しい英語」に囚われ「間違い」が気になってしまうから話せない

とはいえ、原因がわかったところで「正しい英語」「間違い」が気になってしまう。

試行錯誤を重ねたある日、とうとう決心をしました。

よし!今日は文法は絶対に気にせず、単語の羅列だけで話し続けてみよう!

それは自分にとってはある意味、とても勇気がいることでした。

なぜならそれは自分の中では、何年も頑張って積み上げてきた「勉強の英語」を全部捨て去ることに他ならなかったからです。

しかしそれは3ヶ月も考え抜いての結論。

最初の一言。話しながら間違える度に恥ずかしさが心にグサグサと刺さるようでした。それでも間違いを敢えて気にしないようにしながらひたすら話し続けました。すると、

話せる!
通じる!
僕の話に笑ってくれる!
話を返してくれる!

いつもより明らかに話が盛り上がり、その日は二人とも笑いが絶えませんでした。

あまりの嬉しさ楽しさに時間を忘れ、あっという間に帰り道。

大きく広がる夜空を久しぶりに感じ、とてもすがすがしい気持ちになりました。

やっぱり、今までは「正しい英語」に囚われていたから英語が話せなかったんだ!
これからは「正しい英語」ではなく「伝わる英語」を思いっきり楽しんで話せばいいんだ!

それが確信となり、その後は週を追うごとにどんどん英語が話せるようになっていきました。

(そしてこれが、20歳の頃、英会話力ゼロの自分が一つ一つ積み上げていったオリジナルの法則の原点となりました)

日本にあった「英語だけで生活ができる場所」

こうなるともう英会話をすることが楽しく嬉しくてたまりません。

もっと英語を話したい!
ずっと英語に囲まれて過ごしたい!

週1回・数時間の英会話では足りなくなり、毎日・一日中英語を使って過ごせるところを探しました。

まだインターネットも一般にはない時代、「英語だけで生活ができる場所」を見つけるため朝から晩まで本屋を一軒一軒しらみつぶしに渡り歩いて6ヶ月半。ついに見つけたのが

上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)

ここでは授業で日本語は一切使わない。

「英語を勉強する」のではなく「英語で法律や経済などの専門分野を勉強する」というところでした。

この情報を見た瞬間、僕は「絶対にここに入る!」と決めました。

ところがこの大学のこの学部だけは選抜方法も英・国・社のような日本の一般的なものではなく、普通の小・中・高を出た日本人にはまず無理と言われるようなところでした。

しかしそれを知ったところで他に変わるところはなくトライするしかありません。

そして実はもう一つ、僕にとってはここに入らなければいけない大きな理由がありました。それは

パニック障害との決別

です。

それまでの自分は、猛勉強のせいでパニック障害になり社会的生活のすべてを諦め、嫉妬や劣等感や自己嫌悪の塊。しかしそれは自分が勝手にそうしているだけ。

これでトライもせず結果を出さなければ「パニック障害だったから」「日本の小・中・高に行ってたから」など「何かのせい」「誰かのせい」にして自分ができない理由を並べ「言い訳・正当化」を一生し続けるだろうと思ったのです。

ということで僕にとってここに入るということは「単なる大学の合格」ではなく「自分の人生を自分で切り開く証」でもありました。

じゃああとはまっしぐらにトライするだけ!ですが、その頃はまだ体調も戻ってはおらず、少し無理をすると倒れてしまうため思うように勉強はできませんでした。

加えてアルバイトもしなければならなかったので、勉強とバイトが両立できるよう体の様子を見ながら、ギリギリできる範囲で勉強を続けました。

1年目のトライは準備不足のため出願は見送り、2年目はあと少しボーダーラインに届かないままダメ元でのトライするも当然の不合格。

そして3年目のトライ。

このままでは一生無理!

思うように勉強できないため一気に英語力が上がる方法を求めていた僕にとっては

  • 話せるようになるためにひたすら話す
  • 聴けるようになるまでひたすら聴く

という従来の手法はあまりに非効率的、非論理的、非現実的でした。

途方もない時間がかかりましたが発音・文法・スピーキングなど一つ一つにある「何でそうなるのか」を紐解いていくことによりそれが大きな一つの法則となり、一気に飛躍的に英語力が上がりました。

こうしてようやく26の時に大学に入ることができました。

米軍横田基地・アメリカ大使館

大学は自分にとって理想的な環境でした。楽しい時間はあっという間に過ぎます。大学卒業が迫ったある日、友人から「横田基地(東京郊外にあるアメリカ空軍基地)に大学院があり日本人が一人もいない」ということを聞きました。その瞬間、

僕は「絶対にここに入る!」と次の進路が決定。

30歳の時、大学院に入り、同時に基地の中で仕事も得て計5年間基地で過ごしました。

ところで僕は長年の塾・家庭教師のアルバイトにより「いつかは教師になりたい」という思いを心に抱いていました。大学院も卒業し落ち着いた生活をしていたある時、「アメリカ大使館で日本語を教える」という求人を見つけました。

ここだ!

と直感的に思いました。ありがたいことに期間限定の試用期間を何度か経てようやく正規のアメリカ大使館員として働くことができました。

独立・スクールの開校

大使館で日本語を教え数年が過ぎました。気づけば僕も一般的には中間管理職から会社役員へと進むような年齢にさしかかっており、同世代の友人・知人からは

英語が話せないので思うようにステップアップ・昇進・転職ができない。
英語が話せる若い社員に羨ましさと脅威を感じる。

という言葉をよく耳にするようになり、その度に

  • 英語がまったく話せなかった20歳の頃の自分
  • 英語が話せるようになるために一つ一つ法則を積み上げていった自分

がフラッシュバックしました。

そして次第に

ここ(大使館)で日本語を教える先生は他にもいる。でも、20歳の頃から積み上げたあの法則を教えられるのは自分以外いない!

という思いが強くなっていき、悩んだ末、長年働いた大使館を辞め独立しスクールを開校。山内式オリジナルの法則の提供を始めました。

山内式オリジナルの法則

この法則は勉強しない、できない、大嫌いな小学生が20歳になり、英会話力ゼロの状態から日本だけで「何でそうなるのか」を日々考えながら積み上げた法則。

英語を叩き込むのではなく、英語にある一つ一つの「何でそうなるのか」を本質から効率的に理解していく法則。

ですから、

勉強が嫌い、苦手でも
何歳からでも
忙しくても
できる!

と、英会話力を身につけたい方々にとって希望となるような法則です。

さらにこの法則は、僕自身が日本の普通の中・高で英語を勉強してきたからこそわかる「日本人にとっての英語の盲点」もすべてカバーしています。

このように、本質から理解し、日本人にとっての盲点もカバーすることにより、英会話だけでなくビジネス文書や会議・プレゼンでの英語、TOEICなどの各種試験など、あらゆる分野の英語にも対応できる総合英語力を構築していきます。

伝わる英語・自分の言葉

最後に、自らの経験も通して感じるのは、英語を身につけようと必死になっていると、いつの間にか「英語が話せること」が最大の目標になりがちです。しかし、もちろんそれがゴールではありません。大切なのは「その先」にあるもの。

自分にある技術・知識・考えなど「自分の中にあるものが英語で伝えられる」ということです。

「英語が話せること」が目標になってしまうと、「正しい英語」にとらわれ「間違い」が気になってしまいます。

しかし、

「英語で話せること」が目標になると、話すことが楽しくなり話すことで気持ちが伝わり、相手は自分に信頼を寄せてくれます。

英語は「勉強」ではありません。当たり前のことですが、英語は「言葉」です。

この当たり前のことが、ついつい忘れ去られがちになります。

ビジネスでもプライベートでも「英語のその先にあるもの」を大切にし、相手との親密さ・信頼関係に価値を置かれる方は、是非、「正しい英語」より「伝わる英語」、「自分の言葉」で英語が話せるようになれば、さらに英語の人生が楽しく、そして開かれるのではないかと思います。