略歴

山内 順雄
・上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)卒業
・アラバマ州立Troy State University大学院
行政学修士課程修了(横田基地内)
・米空軍横田基地勤務
・アメリカ大使館勤務
・日本語教育能力検定試験 合格
研修・講演会・セミナー実績(一部紹介・敬称略)
・ 東京都板橋区立高島第二中学校
・ たましん法人総合サービスBOB
・ みなとみらい特許事務所・ 篠原総合法律事務所
・ いつき司法書士事務所
・ エグゼクティブ・サーチ・ジャパン株式会社
・ 株式会社グロウスプロモーション
・ Revon24
ゼロから英会話力を身につけた日本人教師だからこそ教えられる英語
「勉強しない・できない・大嫌い → 猛勉強」の学生時代
私は小学生の頃、勉強をまったくしないできない大嫌いな子どもでした。
しかし、あるきっかけで中学生の頃から勉強をするようになり、高校生になると猛勉強、2日徹夜して12時間寝て、1日半徹夜して6時間寝て、さらには眠くなるので食べ物は控えたりと、そのような生活を2年間続けた結果、高校卒業と同時に倒れ、そのままパニック障害になってしまいました。
勉強の英語と英会話の違い
浪人生活を送ろうにも予備校にも行けません。パニック障害のため電車の1駅も乗れなかったり、外へ出られる半径にも制約があったからです。そもそも、長時間勉強をするのもその頃はまったくできませんでした。
そのような状態なので、子どもの頃から憧れていたアメリカに行くことなども到底できません。
何もかも諦めざるを得ない中、英語だけは諦めるという気にはなりませんでした。それ程好きだったということをそのとき、改めて実感しました。と同時に、そのとき、自分をつなぎとめるものは英語以外になかったというのも事実です。
体調がだんだん落ち着いてきたある日、ちょうど米軍横田基地に毎週一回、英会話をしに行っていた知り合いが、「そんなに英語が好きなら一度いっしょに行ってみよう」と誘ってくれました。
人生初めてのアメリカ人との英会話。パーフェクトに話せるはずはないとは思うものの、30~40%は話せるんじゃないかと思いながら、期待に胸を膨らませて行きました。そして、会話が始まりわずか数分のうちに愕然としました。
自己紹介の「My name is 〜」以降の英語がまったく出てこないんです。相手の話す言葉も、「これ、英語?」というぐらい一単語も聴き取れず、みんなの表情に合わせて笑ったりうなずいたりするしかできませんでした。
まさかここまでできないとは・・・。
帰ってからもずっと考え続けました。しかし、何をどこからどうすればいいかまったくわかりませんでした。
それからというもの、ありとあらゆる本を読んだり調べたり、話せるようになるための方法を探しました。
しかし当時は今ほど簡単にわかりやすく方法が解説された本はなく、納得がいく方法が見つからず、いいと思われるものは何でも試しましたが身にならずという日々が続きました。
そのような生活で英語を続けていると、知り合う友達も必然的に「英語つながり」になってきます。しかし、自分はその中でいつも英会話力はビリでした。
他の人は「小さい頃、海外に住んでいた」「英会話学校に行っていた」など、何らかの英会話の経験がある中、まったくの英会話のバックグランドがゼロの自分は、「絶対に英語が話せるようになりたいけど、自分だけは絶対に身につかないだろう」といつも思っていました。
オリジナルの法則による英会話力の向上
それでも英語は諦められず方法を模索しながら続けていたある日、とうとう「ある法則」を思いつきました。そこから突破口が一気広がり、単語の羅列だったスピーキングが、フレーズで話せるようになり、次第に一文が言えるようになり、二文、三文、やがて30秒、1分と話せるようになりました。3分続けて話せるようになる頃には、5分、10分と、どんなに長くても関係なく話せるようになり、帰国子女に間違われるような英会話力になりました。
大学での英語漬けの日々
体調も落ち着き、勉強も行動も制約なくできるようになり、絶対に無理だろうと思っていた英会話もできるようになり、とうとう念願の大学に入ることができました。
そこは「英語を勉強する大学」ではなく、「英語で専門分野を勉強する大学」で、授業や提出物、各種手続きに至るまですべて英語でした。
また、アメリカの大学のように日々の勉強量も多く大変でした。
体調が一番ひどかった頃は英語の本を一日最長5分読むのが精一杯だった自分が、大量の宿題・論文をこなし英語漬けの日々が過ごせるという奇跡が信じられませんでした。
諦めずに英語を続け、「ある法則」を思いついたことにより、英語の人生がこのように開かれ、本当に感無量とはこのことでした。
米軍横田基地内の大学院
そして、あっという間に大学も卒業が近くなったある日、友人から「米軍横田基地の中に大学院があり、日本人の生徒が一人もいない」ということを聞き、英語漬けの生活をもっと送りたかった自分は、その大学院に行くことを即決しました。
大学院入学後は基地の中で仕事と勉強を両立し、卒業後もしばらくは基地で働き、その後、アメリカ大使館に転職をしました。
アメリカ大使館での外交日本語・英語教育への影響
アメリカ大使館ではアメリカ人外交官に「外交日本語を教える」という仕事で、今までの経験とは逆のような印象がありました。
ところで「外交日本語」とは、アメリカ人外交官が政治・経済・軍事などの各専門分野で話す日本語であり、この外交日本語を教えるという経験が、日本語教育だけでなく、実は英語の教え方にも取り入れられることが非常に多く、
文法・単語・表現などの知識・技術面はもちろん、日米のビジネスのアプローチの違いやマナー、マインド、文化など、実は英会話をする上では非常に大切なこともレッスンの中で積極的に紹介しています。
日本人講師だからこそ教えられる英語
ネイティブでも、子どもの頃からのバイリンガルでもない、日本生まれ・日本育ちの自分は、
英語をゼロから身につけてきたからこそ
「どうしてそうなるのか」「どうすればできるようになるのか」という
理屈や方法を日本語でわかりやすく説明することができます。
そして、英語をゼロから身につけてきたからこそ
「日本人にとって難しい英語のポイント」を
自分自身の経験からよく知っています。
さらには、英語をゼロから身につけてきたからこそ
スランプになりやすいときや、どうすればスランプから脱することができるかを自分自身の体験からよく知っています。
当たり前に英語が備わったのではなく
英語をゼロから身につけてきたからこそ
できたときの喜びもよく知っているので
これから英語が話せるようになりたい方にも
同じ喜びを感じていただきたいと心の底から思います。
自分にとっては英語は単なるツールではありません。恩人であり、パートナーであり、昔も今もこれからもずっと変わらず大好きでいつもいっしょにあり続けるものです。
英語はいつから始めても忙しくても、気持ちさえあれば、継続すれば必ず誰でもできます。
自分自身が証明です。
英語を絶対に身につけたいという気持ちの方を全力でサポートし、英語力の向上へ導きます。